最強国スペイン!ヨーロッパの世界進出!!調べてみた。

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島原の乱で調べてみて、キリスト教をなぜそれほど弾圧したのか、気になり少しヨーロッパの事も調べようかなと・・・ただキリスト教徒が多くなって秀吉とか家康は、政権に立てつかれるのが嫌だったとか・・・だけじゃあないみたいですね。遠いヨーロッパに目を向けないといけないようです。

(出典:大航海時代)

1492年 コロンブス、アメリカ大陸発見

1494年 トリデシリャス条約 スペインとポルトガルでの植民地分界線の協定

1400年代後半に大航海時代が始まったわけですが、航海術が発達し、造船技術が進歩した。ここからヨーロッパの世界進出が始まるわけです。夢を追い求めて男たちは大海原へ飛び出したわけです。と言いたいところですが、事実はそう甘くはありません。コロンブスと言うと冒険者、開拓者などカッコいいイメージですが、事実を知れば、もう反吐の出るような奴だと分かるでしょう。彼らは夢を追ったのではありません。金銀財宝を追ったのです。先住民を脅し金銀財宝を出させ、要求量に満たなければ、腕を切り落とし村へ返し村民を震え上がらせる。奴隷にし、略奪し、惨殺します。鼻を削ぎ、耳を削ぐ。奴隷には食事も与えず、お互い食べても良いというわけです。

一番最初に力をつけてきたのは、ポルトガルとスペインです。そりゃあもう略奪の限りを尽くしますので、新しい陸地が見つかればもう見つけた者勝ちです。一切がっさいすべて奪えるわけですので、派遣した国はもうよだれが止まらないわけです。冒険者たちはヨーロッパの国々の王に、船と軍と支度金くれたら、新しい土地見つけてきまっせ!と持ち掛け、金銀財宝に目がくらんだ王たちは、じゃあ頼むと言って支度金を渡すわけです。

スペイン、ポルトガルは積極的に冒険者たちを送り出し新たな土地を見つけ、次次と植民地を増やしていきます。次第に強大な力を持つようになります。世界中に植民地を持つようになったスペインとポルトガルは争いになるのを防ぐため、1494年ローマ教皇に仲裁を依頼します。大西洋を南北に境界線を引き、その線の西側はスペイン領、東側はポルトガル領として良いというお墨付きを渡してしまいます。トリデシリャス条約。でも植民地にしてもいいけど、キリスト教の布教は約束ね!と言ってちゃっかりキリスト教の布教も約束させます。ローマ教皇がヨーロッパで力のある両国の争いを回避するためとはいえ、世界を二つに分けてこの線からこっちはスペインで逆はポルトガルねって。勝手に植民地広げていいよと言う取り決めをして、見返りにキリスト教布教の約束をさせるという何とも信じがたい事をしました。こいつ教皇と名乗っていいのか困惑しますが、事実です。それで世界中にこの二か国の植民地が出来ていきます。世界はスペインとポルトガルによって二分されていくのです。途中、1580~1640にはスペインのフェリペ2世がポルトガルの王も兼務となりすべてがスペイン領となります。スペイン帝国最盛期と言われる。このころすべての植民地を合わせると、スペインには常に太陽がさんさんと降り注いでいるという状況を例えて「太陽の沈まない国」と言われた。

(出典:ウィキペディア:青ポルトガル領:赤スペイン領)

1521年アステカ帝国滅亡、1532年インカ帝国滅亡、いう事の聞かない国はガンガンぶっ潰しながら植民地を広げていきます。スペイン帝国最強時代です。今までもモンゴル帝国とか、ペルシア帝国とか地域覇権国はありましたが、世界規模で覇権を握ったという国はスペインが初めてと思われます。それも大航海時代のおかげと言えます。

1543年 ポルトガル人が種子島に鉄砲伝来 時は戦国時代、ヨーロッパの新たな武器に日本中の大名が興味深々。ヨーロッパの人々は日本に売ろうと考えていたのですが、日本の製造技術はこのころからすさまじく、また戦国時代という時代のニーズも相まって、翌年には自国生産されるようになり、ヨーロッパから入る銃よりはるかに高性能な銃が大量に出回り始めました。もうお分かりだと思いますが、種子島には鉄砲の伝来と同時にキリスト教の宣教師も来ています。宣教師自身は人のよさそうな人に見えても、国レベルで見れば・・・まあ奪いに来ているわけです。すべてを!もちろん宣教師たちも自国が欲しい情報は積極的に手紙などで本国へ知らせます。半分スパイのような動きもしています。とうとう日本にもスペインの魔の手が伸びてきたわけです。しかし戦国時代真っ盛りの日本。至る所で戦闘が行われているようなバチバチの戦闘国家、戦闘民族。やっちまおうと考えていたスペイン、ポルトガル人は、唖然とします。これはまずい、鉄砲もすぐにまねされて、更に性能アップさせ、大量に作られる。こんなサイヤ人みたいな、修羅の国みたいな国家にケンカを売ったら大変だと思い、まずはキリスト教の布教に力を入れて、少しずつ内部から浸食しようと考えるわけです。実際、毎日のように軍事訓練をしており、とても征服出来る国ではないという内容の手紙を出しています。

(出典:Trip Editor)

秀吉も取引はしたいのでキリスト教の布教も一応禁止だけど・・・まあ見て見ぬふりするかというゆるーい状態。家康はより強固にキリスト教の弾圧を行い、キリスト教の布教をそれほどしないイギリスやオランダとの関係を強めて、さらに鎖国へとつながります。

こういう世界情勢を知ると、秀吉と家康のキリシタン弾圧もスペインの侵略から日本を守るためという側面もあると言えるかもしれません。(ゆるせませんけど・・・)

実は秀吉は、最強国家スペイン、この時スペイン最盛期、スペイン国王に対して喧嘩を売ってるんです。秀吉はスペインポルトガルのやり口をもう見抜いていました。宣教師を送り込み情報を得た後、軍隊を送って植民地とする。そのやり口を見抜いていました。フィリピンがスペインの植民地となり、次は日本だと。宣教師は実は奴隷船の船長とつながっていて、日本人奴隷を次々と南蛮船に押し込んでいました。取引として日本人奴隷を連れてきたのは当然日本人です。日本人奴隷は鎖につながれ女子供関係なく、ポルトガルやスペイン、その他植民地へつれていかれ、家畜以下の扱いを受けました。それを知った秀吉は怒り狂います。バテレン追放令を出しフィリピン総督や長官に脅しともとれる手紙を出します。もちろんスペインに対する威嚇も入ってます。秀吉は言いました。

「私に従え、さもなくば罰する。スペイン国王にも伝えなさい。遠くにいると思って私の事を軽んずるな!」

こういった手紙をスペイン領のフィリピンへ何通も送っています。もう最強国家スペインに秀吉は喧嘩を売りまくったわけです。狙われたほとんどすべての国が滅ぼされるか、臣下に下っている状況で、小さな島国日本が世界を制しているスペインに、あなたの植民地を取ってやると言ってのけたのだ。実はこの時、日本統一を成し遂げた秀吉は、数十万の兵を動かせる力を持っており、日本国内の鉄砲の数において、スペインポルトガルよりも、ヨーロッパの他の国々よりも比較にならないほどの数を保有していた。恐らくスペイン軍は遠すぎて何十万も送っては来れないと思われるし、来ても十分撃退できる自信があって、スペインを逆に脅したのだろう。秀吉はスペインポルトガルから日本と日本人を見事に守ったのである。

最強国家スペインを脅したこの時の秀吉は世界最強であるといえるかもしれない。サルだサルだと侮るなかれ!!下手すれば今頃スペイン語を話していたかもですね。

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