ポーツマス講和条約、朝の一言

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(出典:ウィキペディア)

20240626
朝礼当番の日。
えー朝の一言ですが、争いを終わらせると言うのは大変難しいわけですが、一番早く終わらせるのは、相手を殲滅する事だそうです。話し合いでも大変紛糾します。1905年の日露戦争のポーツマス講和会議でも大変紛糾しました。ロシア全権は外務大臣のウィッテ。まだヨーロッパに陸軍の主力が残ってるので、まだまだやる気満々です。一方日本の全権は外務大臣の小村寿太郎です。奉天会戦でも、旅順攻囲戦でも、日本海海戦でも勝っているので、賠償金出せ!カラフトを寄こせと強気です。しかし両国の内情は実はボロボロでした。ロシアはロマノフ王朝でニコライ2世が皇帝だったのですが、反政府活動が各地で起こっていて、日本と戦争してる場合ではなく、一刻でも早く終戦したい思いを隠して強気に出ていました。一方日本は、政府は借金まみれで国民は重税で苦しんで、銃弾や砲弾も補給出来ない状態で戦っていて、すぐにでも戦いをやめなければもう持たない状態だったわけです。お互い懐事情を隠して、国益を考え強気で交渉したわけです。

ニコライ2世は、日本には1円も渡さない、1mmの領土も渡さないと言っていて、小村寿太郎は悩んで、賠償金も領土も諦めて最後の会議に出席する準備をしていました。しかしその直前に諜報機関から連絡が入り、ニコライ2世が南樺太を譲歩する情報が入り、ギリギリで南樺太を取ることが出来ました。外交とは武器を使わない戦争と言われますが、お互い水面下では、諜報機関が動き、外交官が動き、都合の良いとこだけマスコミに流し、電信暗号文も傍受し解読します。お互い探り合いながら、妥協点を見つけていきます。一方日本では重税に苦しんでいた国民がロシアから一円も取れない結果に憤慨し、日比谷焼打事件が起こります。当然小村寿太郎の家も焼かれるのですが、それを聞いた小村は、それで済んでよかったと言ったそう。家族皆殺しにされるのでは無いかと思ってたそう。今世界でいろいろ紛争が起きてますが、平和な世の中になって行ければと祈ってます。

(出典:トライ)

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