猿の惑星シリーズについて、旧作品①~⑤ネタバレ注意

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今回は、猿の惑星シリーズについて書かせて頂こうかと思います。言わずと知れたSF超大作。SF映画の金字塔、名作中の名作・・・迷作???まあ評価は色々ですが、ただ私が好きというだけです。ネタバレしますので、まだ見ていない人は読まないで、すぐにレンタル屋さんへGO!です。

(出典:猿の惑星)

猿の惑星は全部で9作品です。1~5作品が旧作品です。6作品目がリイマジネーション作品、7~9作品がリブート作品です。6,7,8,9作品は正直いって、リアルだし映像もきれいで特撮もすごいし、まあ若い人にはお勧めですね。旧作品1~5作品で話は完結しています。6作品目のリイマジネーションというのが、旧作から着想を得て新たに作った関係のない話です。新作の7,8,9作品も、新たにストーリーを作り直している関係のない話となってますので、旧からみようが、新からみようが、どちらでもいいと思います。まあ6作はおまけみたいなものです。 でも私が本当に見てほしいのは、やっぱり旧作品です。猿も被り物っぽいですが、当時としては最高の特殊技術を使っているんです。

この記事では旧1~5作品の紹介をしていきます。以前、会社の朝礼の朝の一言で「猿の惑星の1作目、見たことがない人~」って聞いたら40人中、7,8人手を挙げていた。「それは大変なことなので、早急に見てください」と言ったのですが、このSF超大作をそんな若い彼らは見てくれたかな・・・

ネタバレ注意!!

①猿の惑星 1968年公開

出ました。名作中の名作!SF映画の金字塔と言われています。主演はチャールトンヘストン。4人の宇宙飛行士が遭難してある惑星に不時着します。助かったのは3名。その惑星は猿が人間を支配している驚きの惑星でした。1人殺され、2人目は脳外科手術の実験で廃人にされていた。残るテイラー(チャールトンヘストン)は、同じく捕まっていた言葉のしゃべれない現地の人間の女性(ノバ)を連れて、その猿の町から逃げ出します。最後、馬に乗って、海岸線を進んでいくと、あの有名なラストシーンになるわけです。テイラーは叫び、泣き崩れます。ここは未来の地球だったのかと。

(出典:猿の惑星)

この映画は米ソ冷戦真っ最中に作られました。核兵器で威嚇しあっている米ソを皮肉り、人類の愚かさをも表しており、当時の状況を見事に風刺したラストシーンとなっています。米ソで最も緊迫したのが1962年のキューバ危機です。その翌年の1963年にこの猿の惑星の原作が発表され、映画が1968年公開され大ヒットしました。

②続・猿の惑星 1970年公開

二作目、続猿の惑星は、テイラーを救出にやってきた宇宙飛行士のブレントがノバと出会うところから始まる。ノバとはテイラーと猿の町から逃げてきた現地の人間の女性。ブレントとノバは、テイラーを探すため、禁断の地と呼ばれる地域へ踏み込んでいく。崩れた地下鉄の様子からここが、未来の地球であると理解するブレント。さらに奥へ踏み込むと、核ミサイルを神と崇め、崇拝するミュータントとなった人間に捕らえられる。そこにテイラーも捕らえられていた。同時に猿の軍団がこの禁断の地に進軍していた。ついに猿とミュータントの戦いの火ぶたが切って落とされた。その戦闘でノバが殺され、ブレントもやられ、自暴自棄になったテイラーは核ミサイルのスイッチを押し、地球を消滅させたのだった。

(出典:続猿の惑星)

一作目ほどの高い評価は得られず。この映画も米ソ冷戦で核戦争に対する恐怖と核抑止にしがみつき、威嚇しあう両国、その状況を痛烈に批判した内容となっています。ミュータントと化した人間は、核ミサイルを神と崇拝して、これさえあれば、自分たちは守られる、これさえあれば敵を滅ぼすことが出来ると本気で信じ込んでいます。皆で賛美歌を歌う様子を見ると、よっぽど猿の方がまともに見えます。

③新・猿の惑星 1971年公開

三作目は、テイラー達を助けていた猿のジーラとコーネリアスの話。SFとか、戦闘とかを期待している人には、物足りないでしょう。なんかアメリカのホームドラマのような感じです。2作目の最後で地球が消滅する寸前に、テイラー達が乗ってきた宇宙船で3955年の地球を脱出したジーラ達。地球滅亡を見ながら、今度は1973年の地球へ不時着します。話せる猿は、大人気となり、テレビ出演などで引っ張りだこ。一流ホテルに滞在し、プレゼントの嵐。忙しい中で充実した日々を過ごしていた。そんな時、酔った勢いもあり、ジーラは自分が動物学者であり、人間を生きたまま解剖していたことを言ってしまう。このときジーラはコーネリアスとの子供を身籠っていた。今後しゃべれる猿が増えていき、人間を支配していくことに危機感を覚えた人類は、徐々に態度を変化させていく。逃走劇を続けていく中で、自分らの赤ちゃん(のちのシーザー)を何とか隠し、ジーラとコーネリアスは射殺されてしまいます。

(出典:新猿の惑星)

悲しい結末ですが、家族愛や人種差別といった深いテーマが織り込まれています。平和主義のこの2人が徐々に追い詰められる様子は、胸が苦しくなります。マイノリティ(少数派)を迫害してきた歴史(黒人、先住民、女性、ラテン系への差別)、そしてそれに抗おうとする1970年代の時代背景と見事にマッチしている作品と思われます。ジーラが非常に表情豊かで、コーネリアスと仲睦まじく、大変癒されます。SF映画っぽくはありませんが、映画としての評価は高いです。

④猿の惑星・征服 1972年公開

(出典:猿の惑星征服)

1991年。犬猫に代わり人間のペットとなった猿。次第に猿が奴隷のように働かされるようになった世界。サーカスの団長に命を救われたシーザー(ジーラとコーネリアスの子供)は人間の奴隷と化した猿たちに心を痛めていた。あるとき、ずっと育ててくれたサーカスの団長が政府につかまり、喋れる猿シーザーの存在を吐かせようとする。拷問の末、事故で団長は死んでしまう。激怒したシーザーは、奴隷と化した猿たちを組織し、武装させ、人間社会に反旗を翻すという内容。

(出典:猿の惑星征服)

最後、酷い扱いをしてきた知事を捕まえ、なぶり殺しにする寸前で、助けてくれた知事の補佐官マクドナルドに説得され、殺すことを思いとどまる。こうして町は猿に占拠された。今後各地で猿により反乱がおこるだろう。シーザーは続ける。かつて主人だったものが、我々の従者になる。そして猿の惑星の誕生を宣言するのだった。

当時のアメリカで強く叫ばれていた働く人の権利や平等を求める公民権運動などを彷彿とさせる内容。当時のアメリカではマイノリティに対する根強い差別意識があり、大きな社会問題となっていた。自由や平等は全ての人たちが願う当然で自然な感情であり権利である。

⑤最後の猿の惑星 1973年公開

(出典:最後の猿の惑星)

4作目の最後で猿と人間の戦争がはじまり、核戦争となり荒廃した世界。物語はおよそ2010年あたりと推測される。猿の町では、シーザーが王となり、少数の人間と共に平和に暮らしていた。共生を望むシーザーに、人間を憎むアルドー将軍。そんな中で死の街と言われる放射能汚染された街のミュータントと化した人間たちと戦闘が始まります。戦闘は猿が勝ったのですが、これから2000年に渡り猿が地球を支配していくわけではなく、2670年には人間と猿が平和に共生している様子が描かれています。未来は変わるということを表しているのでしょうか。でも物語はシーザーの銅像から涙がこぼれる所で終わります。悲しい未来を暗示しているのでしょうか。

5作目の評価はあまり高くないようです。一応旧シリーズは完結です。時間軸でみれば、以下のようになります。ずっとこの繰り返しで行くのか、破滅の流れをくい止め、猿と人間で平和な世界を作っていけるのか、その答えがないまま物語は完結ということになります。答えは一人一人が考えていくべきだということでしょう。

  • ③(1973年 ジーラとコーネリアスが地球へ)
  • ④(1991年 猿が人間の奴隷に。猿の反乱) 
  • ⑤(2010年? 猿が地球を支配)
  • ①(3955年 テイラーが未来の地球へ)
  • ②(3955年 核兵器で地球滅亡)

あとがき

2000年の時を超える壮大な物語です。そのすべてにおいて非常に重要なテーマが織り込まれており、考えさせられる映画でした。私はネット配信動画のUネクストで見直しましたが、レンタルでもありますので、ぜひ見てみてください。それでは、さよなら、さよなら、さよなら。

出典:ウィキペディア、猿の惑星シリーズ、他

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