北九州市折尾にある体当たり勇士の碑を見てきました。
1944年8月20日米軍のB29爆撃機約80機が八幡空爆の為に中国成都より飛来。その情報を受けて小月飛行隊の双発機「屠龍」(とりゅう)が飛び立った。B29の飛行高度は約6000m。屠龍は果敢に空中戦を仕掛けていきます。しかし撃っても撃ってもびくともしない。それほど、あの巨大な空の要塞と言われるB29を撃ち落とすのは簡単ではなかった。北九州折尾上空に差し掛かり、目標と思われる八幡地区まではもう間に合わないと判断した野辺、高木両搭乗員は体当たりを決意。「野辺これより体当たり」の一言を残し、B29前方より突っ込んだ。後続機も巻き込み、2機のB29 を墜落させました。野辺、高木両搭乗員の乗った屠龍はバラバラになりながら墜落したのが、この北九州折尾です。当時の周辺の人はこの空中戦を下から見ていました。命を懸けたこの2人の行動に涙を流し、墜落現場に慰霊碑を建立しました。
付近まで行くと看板が出ています。この近所の人は皆知ってるんでしょうね。周りは新興住宅街です。毎年8月第一日曜に慰霊祭が行われるそうです。
下に折尾南2号公園があって、階段が上へ続いています。そこを上ったところです。
当時の住民たちが作った手作りの慰霊碑です。
2機同時に撃墜したのは、恐らくこの野辺高木だけだと思います。野辺は出撃前から、体当たりについて語っており、次間に合わなければ決行しようと決めていたと思われます。
上:二式複座戦闘機(屠龍:とりゅう)
上:B29爆撃機:1944年6月に中国成都より初空襲が行われた。目標は八幡製鉄所。これ以降空襲は日本全土に広がっていく。
のちの調査で分かったのは、体当たり攻撃を恐れた米軍は、原爆投下前、北九州周辺の哨戒機を発見し、急きょ原爆投下目標を小倉から長崎へ変更しました。戦後調査した担当者は、長崎の被害者のことを思い、言うに言えなかったそうです。当時は気象条件、煙幕等での視界不良が変更理由と言われていました。(諸説あり)