イランとアメリカって、なんで揉めてるの???調べてみたよ。

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(出典:NHK)

イランとアメリカって、なんでなの?

イランとアメリカって昔から仲が悪い。2019年年末からの両国の情勢を受けて、ネットでは「第三次世界大戦」の検索が急上昇した。イランは中東では強い方である。この二国が戦争になれば、アメリカといえどもただでは済まない。今はまだ、危険な状況であるが、一応は沈静化の方向へ向かう。原因とこれら一連の流れを調べてみました。

(出典:中東情勢まとめ)

気に入らないやつの悪い部分はいくらでも言える。でもそんなことは誰にでもあることで、言い始めたら切りがない。でもアメリカももう少しやり方を考えるべき。戦争一歩手前まで行ったのだ。民間人に被害も出てしまった。一つ一つ見ていきたいと思います。

(出典:ウィキペディア)

イランの出来事、国内事情

国王パフラビー2世:親英米路線
国内:民族主義勢力は反発
英石油会社利権独占状態

1951年~
民族主義モサデグ首相誕生
英系石油会社の国有化を宣言
英米反発

1953年~
米主導で軍事クーデター起こる
国王パフラビー2世再び実権握る
反共軍事同盟METOに参加
石油国有化は失敗
石油利権は英米が握る

1963年~
白色革命:近代化政策
宗教・民族主義者ら反発
秘密警察による弾圧、言論思想封殺
急激な近代化による貧富の格差大
インフレ

1979年~
イラン革命
国王国外脱出、ホメイニ氏凱旋帰国
イスラム原理主義、反米路線政権誕生 

(出典:Pars today)(イラン革命:1979)

METOから離脱
パフラビー2世を米が受入れ
テヘラン米大使館襲撃事件

1980年~
イラン米断交 
イランイラク戦争勃発(8年間)

2002年~
イラン核疑惑
欧米による経済制裁

2015年~
米英独仏中露でイラン核合意
合意履行確認、制裁段階的解除

2018年~
米、イラン核合意からの離脱

2019年~ 
イラン核合意履行を段階的に停止
米空母、イラン周辺に派遣
イラン、米無人機撃墜
日本籍タンカー爆破事件
サウジ石油精製基地攻撃
イラン、イラクの基地にロケット弾
民兵組織、米大使館包囲、投石
イラン、中ロ合同軍事演習実施

2020年~ 
米、ソレイマニ司令官殺害
イラン、イラク内米基地に10発以上弾道弾
ウクライナ機撃墜事件民間人176名死亡
安倍首相中東歴訪
中東自衛隊派遣
露艦、米駆逐艦に異常接近

(イランの関与が疑われる事案も含む)
(参考:ウィキペディア、他)

やはり石油か・・・モサデグ首相誕生

1950年ごろまで、ずっと親米路線だったのに、なぜか仲が悪くなっていく。やはり石油利権である。もとはイギリスとの関係がメイン。イギリスのアングロ・イラニアン石油会社(AIOC)がイランの石油を独占している状況。1951年に反植民地を掲げて、民主選挙でモサデグ首相が誕生する。そのモサデグ首相が石油国有化政策を推し進めた。AIOCの資産すべて国有化しようとするもの。AIOC側としては、たまったものではない。困ったAIOCはモサデグ首相に、石油利権の折半を申し出るも、拒否される。ここでAIOC側の提案に乗っていたら、お互いうまくやって行けたであろう。モサデグ首相は石油の利権もあるが、イギリスによる支配からの脱却、真の独立を勝ち取りたかった 。この政策にイラン国民は大変熱狂した。イギリスのAIOCは追い出された。モサデグは英雄となった。

1953年:軍事クーデター

利益を奪われたイギリスAIOCは我慢ならず、世界石油資本メジャーと協力してイラン原油の締め出しを行い、イラン財政を困窮させた。イランの石油利権に目を付けたアメリカCIAは、モサデグ政権を転覆させるべく、豊富な資金をもとに軍事クーデターを起こさせ、成功した。クーデター成功の暁には、イギリスから石油利権の40%をもらい受けることになっていたアメリカは大喜び。モサデグ首相は逮捕され、死刑判決がでるも実際は釈放されている。これから27年間に渡り、親英米政権であるパフレビ2世が独裁をひくことになる。アメリカ、イギリスを中心とした世界石油資本がイランの石油を支配していく。

 1953年、締め出されたイランへ、タンカーを向かわせたのがあの出光佐三である。(海賊と呼ばれた男)。イギリス海軍の警戒をかいくぐり、イランから石油を輸入した。日章丸事件。イギリス海軍にケンカを売った男として世界中で報道された。英国アングロイラニアンが所有権をめぐり出光を提訴するも、出光側が勝訴。イランを孤立させようとしたイギリスの思惑をくじく勇敢な行動であるが、1953年の軍事クーデターで、また再びイランの石油はイギリスの手に落ちた。イランは自分たちの石油を自分たちのものにしようとしただけである。民主国家として当然の流れであるが、イギリスは我慢ならなかった。このクーデター後27年間、石油の利潤がイギリス、アメリカに行くことになる。恨まれて当然であった。

1963年:白色革命(近代化へ)

白色革命(はくしょくかくめい)国王パフラビー2世が行ったイランの近代化、西欧化を進めた取り組み。農地改革、工業化、労働者の待遇改善、女性参政権、教育の向上など。非常にいい取り組みのようですが、国王の強権的なやり方に宗教勢力や民族主義者が反発を強めます。反対勢力は秘密警察に弾圧される。宗教指導者ホメイニ氏が国外追放。インフレが起こり、経済格差も大きくなり、不満が高まっていきます。

1979年:イラン革命

反政府デモが全国に広がり、パフラビー2世は国外へ脱出し、王政が終わりました。宗教指導者ホメイニ氏が帰国し、イスラム原理主義、反米政権が樹立しました。

歴史って当たり前だけど、つながってます。脅し脅され、やってやられてを繰り返します。最初は近代化を進めていて、親英米政権だったわけです。でも民衆の反発も大きく、それを強権的に抑え込もうとした。そのやり方もまずかった。長い時間をかけて、少しずつ関係が崩れていった。決定的だったのは1979年のテヘラン米大使館襲撃事件である。映画アルゴで有名になった。一年以上大使館員等52名が人質になった。これを機に米国内でも対イラン感情が著しく悪化した。

(出典:TheNational)(1979米大使館襲撃事件)

2020年1月12日現在

アメリカが、イランの英雄ソレイマニ司令官をドローン攻撃で殺害(2020/1/3)。その報復でイラクの米軍基地に、10発以上の弾道ミサイルを撃ち込んだ(2020/1/8)。その5時間後、イランは基地に向かってくる航空機を米軍機と間違い撃ち落とした。このときのウクライナ機撃墜をイラン政府が認めて、ウクライナ側に謝罪しました。イラク内の米軍基地に10発以上の弾道ミサイルを撃ち込んだ5時間後、飛行機が飛んできたのだから、イラン側としては怖かっただろうと思います。しかし民間機かどうか考えたはず。間に合わなかったのか?なぜ飛行禁止にしなかったのか?敵味方の識別装置は?むごいとしか言えない。この数日後、ロシア艦が米駆逐艦に55mという異常接近をしています。米駆逐艦ファラガットは155m、ロシア艦の情報はありませんが、同じ程度の大きさとして、自艦の3分の1程度の距離まで詰めたということになります。私の軽自動車が340㎝ですので走行中に113㎝の距離に付けられた計算になります。走行中に1m程度に付けられたら、もう冷や冷やものです。しかも船はブレーキというものがない。いつものように米ロで悪いのは相手だと言い合っています。

(出典:日経)(露艦と米艦、異常接近)

どちらにしろ、けん制目的であることは間違いないでしょう。一応ロシアはイラン寄りで、今回の異常接近も関連しているでしょう。ちょうど2019/12/27からオマーン湾海域でイラン、中ロの3か国で合同軍事演習が行われました。中国は対米貿易で、もめており、台湾政策でも対立、昨日(2020/1/11)は台湾で対中強硬派の蔡英文が再選。イランに中ロが付き、アメリカに同盟国がつき・・・と考え、「第三次世界大戦」が検索ワード上位になったのでしょう。

あとがき

もめごとは小さい内に火を消すのが一番です。ちょっと気が合わないと思ったら、ちょっと距離を取ることです。会ったときは、にっこっとして挨拶して、大人の対応をしてください。世界大戦が起こったら、各国、失うものがあまりに大きすぎます。米、イランは自重を。周辺国は仲裁して。安倍さんが中東訪問(2020年1月)します。がんばってほしいものです!

 自由と民主主義の考え方を推し進めているはずの英米がイランの首をぎゅーと締め付け、民主選挙で選ばれたモサデグ首相をクーデターを使って失脚させ、莫大な利益を山分けする相談をしている英米を想像するとガッカリです。でもモサデグさんも、やりすぎです。それまで散々投資してきたイギリスをいきなり追い出すのは、さすがにどうかと思います。せっかく折半の話を持ってきてくれたのに、断って全て奪えば、どれほどの反発が来るかは予想できたはずです。おそらくモサデグさんは政治家というよりも、理想に燃えた民族主義者だったのでしょう。もう少し、賄賂をもらうぐらいの腹黒い政治家のほうが、上手く英米をやり込めただろうと思います。民衆の熱狂的な後押しがあり、勢いに乗りたいのは分かりますが、のぼせ上がったら終わりです。自分を律し、世論を抑え長い目でみて自分らに有利になるよう動くべきだったと思います。その後の米大使館襲撃事件も含め、両方共が強硬に出過ぎたというのが、最初の不仲の原因なのかなと感じました。このあとのイランイラク戦争、核開発などの問題もあり、亀裂が深まっていきます。

(出典:IZA)

イランが原油輸出の締め出しを受けている苦しい時に、助け舟を出したのがあの出光佐三です。一企業がイギリスにケンカを売っているようなものですが、この勇気ある行動が今もイラン人の対日感情にいい影響を与えています。

(参照:ウィキペディア、世界史の窓、ビジネスインサイダー、他)

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