企画展「戦争の時代」築城海軍航空隊と戦時のくらしへ行ってみた

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2019年12月

北九州市の船迫窯跡公園の秋の企画展へ行ってみた。築城の航空祭にはたまに行くが、その周辺の歴史については全く知らず・・・ 勉強がてら、いく。スマホで調べながら田んぼと山しか見えないような場所へ。本当に何もない。がらーんとした田舎道。きっとスマホがなければたどり着けないような所。ぽつんと公園の建物があった。車から降りて深呼吸してみた。なんか空気がおいしいような感じがする。たぶんここの風景は78年前となんら変わらないだろう。

公園の建物の中で、無料の企画展が開催されている。秋の企画展ってことは、年何回かあるのかな???ただこの公園は奈良時代の土器の窯遺跡公園とのことです。興味のある方はそちらもどうぞ。

(公園内景色)
(船迫窯跡公園体験学習館)

↑築上町出身の陸軍武官の正装。

(1941/12/9福岡日日新聞:開戦記事)

↑1941/12/9の福岡日日新聞。1面すべて開戦とそれに関する内容ばかり。「帝国ついに英米と戦端開く」「英艦を撃沈!」「米艦は降伏捕獲!」「ホノルル大爆撃」「米の暴慢、無誠意・天人共に許さず」「今未明、西大西洋で皇軍、行動を開始す」今こんな新聞が朝、届いたら、もう目が点ですね。きな臭い感じになって、ある日突然なんでしょうね。ちなみに福岡日日新聞とは現在の西日本新聞の前身です。たった78年前です。

上海の米英艦に対し降伏勧告文を交付し、英艦は拒絶したので撃沈。米艦は応諾したので、捕獲したとのことです。(12/8午前9時発表)その下には、「ホノルル大爆撃」とある。真珠湾攻撃のことですね。これが日本時間12/8午前3時05分とのこと。

(椎田駅前)(徴兵された若者たち)

↑映画とかテレビでは、徴兵された若者を、皆で見送るというシーンは見てましたが、実際、自分の住んでる地域の駅前で並んでる写真を見ると、ぐっと胸が締め付けられます。

↑愛国婦人会、国民学校、・・・遠い昔の、どっか遠くの・・・って思いたいですけど、日本中の実際の身近な出来事なんですね。1941年の国家予算165億円のうち、軍事費は75%の125億円だそうです。金属不足を補うため、寺の鐘や仏具、家庭にある金属類が戦時供出されたそうです。防火訓練、竹やり訓練なども行われた。

↑飯ごうや、水筒。

10~20代で若くして特攻隊員として散っていった。非常に達筆な手紙。内容も自身の心構えや心境、お世話になった人たち、両親、兄弟への感謝が記されている。築城基地からも特攻隊員が多数、飛び立っていった。

菊水部隊銀河隊(陸上爆撃機銀河による神風特攻隊)は1945/3/18,午前6時28分~250㎏爆弾2個積んだ銀河6機出撃。九州南東海上米軍機動部隊へ体当たり攻撃を行う。

↑1945/8/8午前、北九州の八幡空襲の為の米軍機数百機を迎撃するため、長崎県大村市の基地から紫電改24機出撃。そのうち10機が撃墜された。そのうちの一機、午前10:15ごろ、P51ムスタング4機との激しい空中戦の末、築上町小原地区へ墜落した。そのときの紫電改のプロペラ。小原地区では毎年3月、紫電改搭乗員を含む戦没者の追悼慰霊祭を行っている。

B29。八幡空襲。日清戦争で得たお金で建てられた官営八幡製鉄所の東田コークスが目標で空爆が何度も行われた。最後の空爆では、数百機の爆撃機から焼夷弾がばらまかれた。八幡を中心に無差別攻撃が行われた。78年前の出来事です。

(出典:船迫窯跡公園秋の企画展戦争の時代資料)

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